傾聴することの難しさ
「やさしいママになりたい! ギノット先生の子育て講座」が衝撃的だったので
この本を書いた
アデルフェイバ とエレインマズリッシュの著書
「子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方」という本を読んでいます。
傾聴することの難しさよ。
これまでこどもと一緒に過ごしてあげればそれがすべてだと思っていたんではなかろうか。
ああ、こんなに苦労していいお母さんと思っていたんではなかろうか。
子どもが上手くコントロールできていていいことだと思っていたのではなかろうか。
日曜、おまめは英語の習い事に行きます。
大抵9時に公園や図書館に行ってから10時前にクラスに着く予定です。
今日はちびたんが借りたDVDを観始め、
「おまめ、公園いくのとそれ観てるのどっちがいい?」
「これみる」
「公園はいかなくていいのね」
「うんこれみるの」
「じゃ、お母さんちょっとスーパーいってくるから、帰ってきたら直ぐに出発だよ」
私は家事やら近所のスーパーに買いだしにいくやらして家に戻り、さて行くかとおまめとちびたんに声をかけると、
ちび「公園はいかないよね?」
はは「行かない」(なんで今それ言うのよイラ!)
まめ「こうえんいくー!ち(木)のこうえんいくーー」
はは「行かないってば、さっき約束したでしょ。(怒)」
ちびは壁の方向いてすこし拗ね、まめはお母さんに泣きつく、お母さんは大きな声で子どもに話を聞いてもらおうとする、予定があるときに起こりがちな、いつもの光景。
傾聴していたならば、、、
ちび「公園はいかないよね?」
はは「うーんそうね、公園いきたかったかなあ。お母さんも公園好きなんだよぉ」
まめ「ちのこうえんいくー」
はは「ちのこうえん皆でいくの楽しいもんねー。でも今はもう時間になっちゃったねぇ。」
上述の本のスキルによると、アドバイスは避けて子どもに考えてもらうこと、とあるので「英語が終わったらいくのはどう?」などはあえて付け加えないこととします。(この後、おまめは泣きながら英語のあとに木の公園にい来たいことを訴えてくれ、小さなまめでも十分に妥協案が考えられることも確認しました。)
こんな風に子どもに寄り添ってあげられたら二人の気持ちを救ってあげれただろうと思い返します。
しばらくは自分自身の子どもへの接し方を見直していきます。